'67 BMC COOPER S ♯177
Winner Rally Monte Carlo

MAKER:ixo MODELS
MODEL No.:RAC086
SIRIAL No.:
DRIVER:R. AALTONEN、H. LIDDON

 モーリス社とオースチン社の合併により産まれたBMC(British Motor Corporation)の会長レオナード・ロードはエンジニアのアレック・イシゴニスに新しい小型車の開発プロジェクトを任せます。スエズ危機によるオイルショックの為、より好燃費なドイツ車がイギリス国内を席巻していた中、巻き返しを図る為のプランでした。
 「BMCに既存するエンジンを使い、大人4人が乗れ、高度な走行性能と快適性を有し、経済性も優れる」という非常に高いコンセプトを要求されたコードナンバー「ADO15(オースチン・デザイン・オフィス・プロジェクトナンバー15」と呼ばれるその車は、4隅にタイヤを配置し、トランスミッションとエンジンを上下に合体させるというアイデアにより、車格からは想像できない居住性を手に入れる事に成功。'59年、世界初の前輪駆動車ミニが誕生しました。
 この小さな英国車に目をつけたのが、ジョン・ニュートン・クーパー。戦後まもない頃からジョン・クーパーが興したショップ、クーパー・カーズは、その頃F1に進出する程にまで成長していました。レースを通じてイシゴニスと面識があったジョン・クーパーは、ミニを改造してホットバージョンを制作する許可をBMCから得る事に成功します。
 '61年にデビューしたホットバージョン、ミニ・クーパーは、世界中の競技に進出。翌'62年にはラリーを中心に153もの勝利を手に入れて、世界中で活躍します。これに気を良くしたBMCは、カタログモデルだったミニ・クーパーをさらにパワーアップさせたレース専用車輛、クーパーSを開発。970S、1071Sという2種類の排気量のマシンを経て、究極のミニと言われる、1275Sを登場させます。ジョン・クーパーが新たに設計し直したエンジンは、最高出力75HP/5,800rpm、最大トルク10.92kg-m/3,000rpmという、小排気量のOHVエンジンとしては限界に近いスペックを誇り、特に低い回転数で発生する最大トルクは、ミニをより鋭いピックアップのマシンへと進化させました
 '64年の春にラリーフィールドに投入された1275Sは、再び多くのインターナショナル・ラリーで活躍。中でもモンテカルロ・ラリーでの活躍は今でも伝説として語り継がれています。'64年にミニ使いの神様と呼ばれているP. ホプカークのドライビングで優勝したのを皮切りに'65年にはT. マキネンが勝利。'66年は1位から3位を独占してゴールした後、オフィシャルの裁定により「ミニに使用されていたヘッドライトが減光できないタイプであった」という事を理由に失格が言い渡されますが、ミニが真の勝利マシンである事は誰が見ても明らかでした。この裁定に激怒したBMCワークスのアビングドンのチームは、翌'67年のラリーに出場しないと発表しますが、結果的には'67年も5台のミニをモンテカルロに投入。R. アルトーネンのドライブで177号車が優勝するのを始め、参加車輛全5台全てが完走するという見事な成績で、前年の雪辱を晴らしました。
 左のモデルは'67年のモンテカルロ・ラリーを制したアルトーネンがドライブしたマシンで、イクソ製。ミニと言えばモンテカルロ、そして'67年の177号車でしょう。大排気量、大パワーのポルシェらを敵に回しての見事な勝利は、ミニ・フリークでなくても知っている伝説です。177号車のモデルは、今まで決定的なモデルが出てませんでしたので、今回のイクソからの発売には期待していました。かつてビテスから発売された時には、ルーフのタイヤキャリアが4本搭載できる大きいものが着けられていて、実車の2本用キャリアと異なっていました。イクソからの発売に伴い、2本用のキャリアに交換されるのを期待していたんですが、発売されたらキャリアが無くなってました(涙)。手元の資料ではキャリアを搭載せずに走っているシーンの写真もあるので、これも間違いではないんですが、それでもやっぱり177号車には2本用のキャリアを載せて欲しかったなぁ・・・と。「世界のレーシングカーコレクション」のミニのキャリアを取っ払って載せちゃうってのも手か!?

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