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'99 Mercedes CLR #5

MAKER:SPARK MODEL
MODEL No.:S0995
SIRIAL No.:
DRIVER:C. Bouchut、P. Dumbreck、N. Heifeld

 近年のル・マンの中で最も人々の印象に残ったレースと言えば、'99年のそれでしょう。ただしそれはエポックメイキングなマシンが参戦したとか、胸が躍るような展開だったとかいう事ではなく、唯一「メルセデスが宙を舞った」という点において。
 '90年代後半に入り、屋根付きのGT1(GTP)マシンがル・マンの中心になると、オープンプロト(LMP)とのバランスを整える為に、ACOはレギュレーションを変更します。これにより'99年にはGTPよりもLMPの方がやや有利な状況が生まれます。これを受けて日産等の一部のメーカーはマシンをLMPに変更しました。そんな中、頑にクローズドボディを貫き通したのが、メルセデスとトヨタの2大ワークスでした。
 GTPがLMPに対して優れているのは、「屋根がある」事により空力を徹底的に追及する事ができる点にあります。レギュレーション上、GTPマシンはLMPマシンよりも大きな出力を与えられますが、反対に2インチ細いタイヤを履かなければいけない事から、メルセデスはコーナーでのパフォーマンスを捨て、ストレートに的を絞った低ドラッグのマシンを開発しました。
 ドラッグは単純に「空気抵抗」、ダウンフォースは「マシンを地面に押し付ける力」と言う事ができます。大雑把に言ってしまえば、ドラッグを減らすにはマシンの前面投影面積を減らしたり、ボディデザインをより路面に対して鋭角にすれば良いわけです。一方、ダウンフォースを効果的に発生させる最も一般的な方法としては、ウィングを立てたりボディデザインを鈍角にする事が挙げられます(他に床下の空気を的確に排出する事によってもダウンフォースは発生しますが、話が難しくなるので割愛)。つまり、ダウンフォースの発生はドラッグの増加を伴うのです。デザイナーは常に「ドラッグを減らしつつ、高いダウンフォースを得る」という相反する命題に頭を悩ませるのです。
 前年のCLK-LMと比較しても遥かにノーズが低く、明らかに低ドラッグを追及した形であるCLRですが、その反面、高ダウンフォースを両立する以前に、必要十分なダウンフォースすら獲得する事ができず、完成したマシンは非常に不安定な挙動を示すマシンとなってしまいました。特に低すぎるノーズが十分なフロントのダウンフォースを発生する事ができないという、致命的な欠点を抱えていたのでした。
 この為CLRは5月の予備予選でマーク・ウェッブがドライブ中にフロントが浮き上がり、宙を舞いクラッシュ。これを受けてCLRは急遽フロントノーズにカナード翼を追加され、25%のダウンフォース増加に成功しますが、決勝日朝のウォームアップ走行時には再びウェッブがドライブしていた4号車が宙を舞ってしまいます。
 そして決勝12日午後8時45分頃。76周目に突入していた3位走行中の5号車が、トヨタTS020とのテール・トゥ・ノーズの中、インディアナポリス手前の丘を下っている最中に、時速320kmで突如フロントを持ち上げて離陸。5m程舞い上がりながら、縦2回、横1回の宙返りの後、左手の林の中へ墜落したのでした。幸い周囲に観客はおらず、また5号車も下から着地した為、ドライバーのピーター・ダンブレックも軽い脳震盪を起こしただけで済みましたが、このクラッシュを機に、メルセデス陣営は6号車もレースを棄権、ピットのシャッターを降ろしたのでした。
 左のモデルはル・マンの決勝で宙に舞ったダンブレックがドライブした5号車で、スパークモデル製。ダイムラー・クライスラーの意向により、今までタブーとされていた(と思われる)CLRのモデル化(メーカー完成品の発売)を、スパークが遂に実現してくれました。とは言え、流石にル・マン仕様を発売するってのは許されなかったようで、台座には車名が記されているだけで、通常記載されているゼッケンやドライバー名は省かれ、モデルのデカールも貼付されず添付されるという形です。まるでホモロゲ取得用のベース車輛をモデル化したよう。まぁ、自分でデカール貼付とは言っても、CLRは元々シンプルなデザインなので、デカールの数も少なく助かりました。

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