'68 NISSAN R381 GP ♯20

MAKER:EBBRO
MODEL No.:496
SIRIAL No.:one of 3,000
DRIVER:H. KITANO

 '66年に開催された第3回日本グランプリで、ライバルのポルシェ906に勝利したプリンスのR380でしたが、翌'67年には、再びポルシェ906に破れてしまいます 。で、'68年の日本グランプリに、日産は今回紹介するR381を登場させます。
 この年の日本グランプリから、出場するマシンがガラッと変わりました。それまで行われていた、2リッター・スポーツ/プロトタイプカーによるレースから、いわゆるグループ7マシンによるビッグ・マシンによるレースとなったのです。中でも、トヨタ7を持ち込んだトヨタ、ローラT70 Mk.IIIを擁したタキ・レーシング、そして日産を含めた3チームをして「TNT(トヨタ、日産、タキ・レーシング)対決」として注目を浴び、決勝日には11万人を超える観客が、富士スピードウェイに押し寄せたといいます。現在国内で最も多い観客動員数を誇るJGTCですら65,000人程ですから、その注目度の高さが伺えます。
 シボレー製V8、5.5リッターエンジンを積むこのR381ですが、とにかくエンジンに不具合が多く、結局エンジンのほとんどの部分を日産が手直しして使用したと言われています。しかし、このマシンの最大の特徴はエンジンではありません。それは、まるでカンナム・マシンのようなリアウィングでしょう。コーナリング中にイン側のグリップを強化する為に、走行中にブレーキ、リアサスペンションと連動して、左右が独立して角度変化すると言う大胆な発想によって作られた物です。エアロスタビライザーと命名されたこの特徴的なウィングを持つR381は、「怪鳥」という異名を取りました。
 日本グランプリにおいては、3台投入しされたR381がレースを終止リード、北野 元がドライブする左の20号車が優勝しました。
 左のモデルはエブロ製です。エブロでは、この年の日本グランプリに出場した3台全てがラインナップされる他、R381開発時に先行して開発されていたクーペボディのマシンもリリースしています。Mac G5のようなリアのメッシュも良くできてます。

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