'66 PRINCE R380 JAPAN GP ♯11

MAKER:EBBRO
MODEL No.:77
SIRIAL No.:0
DRIVER:Y. SUNAKO

 '66年の5月、完成したばかりの富士スピードウェイで、第3回日本グランプリが開催されました。この時のメインレースは、一周6kmのコースを60周走るもので、4台のR380の他に、宿敵ポルシェ906、トヨタ2000GT、フェアレディS、デイトナコブラ、ジャガーXK-E等の16台で競われました。ライバルのポルシェ906は、途中リタイアしてしまい、R380は1、2フィニッシュを迎えた他、4位にも入賞しています。今回紹介する左のマシンは、その第3回日本グランプリの優勝車で、砂子義一選手がドライブしたものです。
 日本で始めて本格的に作られたレーシング・マシンと言っても過言ではないこのマシンの開発は、'64年に行われた第2回日本グランプリで、スカイラインGTが、純然たるレーシングカーであったポルシェ904GTSに負けた事に端を発します。市販車ベースの車では決して勝つ事ができないとの思いから、「打倒ポルシェ!」の為にプリンス自動車が造った物で、車に積まれたGR8型エンジンがデチューンされ、S20の名称でハコスカGT-R(PGC10 & KPGC10)に搭載されたのは有名な話です。日産自動車との合併後には、後継車である R381R382、そして幻のR383へと開発が続き、さらには'90年代後半のル・マン用マシンである、R390R391へと続いていくのです。
 流麗なボディデザインはいつ見ても美しいですが、他のゼッケンの青、緑、黄色よりも、赤が一番似合うと感じてしまうのは、フェラーリ・ディーノを始めとする、往年ののイタ車に似ているからでしょうか?
 左のモデルはエブロ製。ちょっとボディの造形が眠たいような気がします。今回紹介した赤い♯11の他にも、青の♯10、緑の♯9、黄の♯8や、'66年の谷田部スピードトライアル時のマシン、そして翌年のR380IIもモデル化されています。ちなみにこちらはR380IIの谷田部仕様

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