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'98 PENNZOIL NISMO GT-R #23

MAKER:MTECH
MODEL No.:M4-02-A
SIRIAL No.:
DRIVER:E. COMAS、M. KAGEYAMA

 JGTC開幕当初から参戦を続けているスカイラインGT-R。Gr.A時代の活躍を継承し、JGTCにおいてもその活躍が期待されたGT-Rでしたが、'90年代後半に入ると、GTマシンのゴールドスタンダードの地位は徐々にトヨタ・スープラへと移行していきます。その結果、スープラを望むプライベーター、サテライトチームが増加、それに答える為に時間を割かれる事になったTRDは、スープラの開発ペースでライバルメーカーに遅れをとってしまいます。一方、満を持してNSX GTを投入したホンダ陣営でしたが、一発の速さこそ優れるものの、耐久性、信頼性に欠けたマシンは、未だに結果を残す事ができずにいました。この2メーカーの苦悩をよそに、復権を望んだのが、'98年の日産&ニスモでした。
 R32、R33、そしてその後のR34、Zと、市販車のモデルチェンジに対応してベース車輛を積極的にフルモデルチェンジさせてきたニスモでしたが、実はその中身は、常に前作を踏襲したマイナーチェンジであると言えます。'98年のJGTC仕様のGT-Rと言えば、'95年からベース車輛として使い続けてきたR33 GT-Rの最後の年ですが、一方で'99年から採用されるR34 GT-RをベースとするGTマシンへと継承されるという点で、後年になって振り返れば重要な位置づけを担っているとも言えます。
 '98年のGT-Rは、従来から採用されていたブリスターフェンダーに大幅な手が加えられ、タイヤハウス内、ひいては床下の空気を積極的に抜き、フロントのダウンフォースを獲得するのを目的として、その後端が大胆にカットされました。後ろから見ると、タイヤがはみ出して見えるこの手法は翌年には禁止されるので、R34では使われない手法ですが、後に同様のアイデアを三菱がランエボのWRカーに採用し、その後禁止されるのも同じです(笑)。
 また、GT-Rの弱点でもあった重量バランス改善の為、Xトラック製の6速シーケンシャルミッションはできるだけ後方に配置され、一方でエンジン下にあったステアリングギアボックスをエンジンの上へと移動。前年から採用されていたドライサンプ式のオイルパンもより薄い形状に改良され、その分エンジンをより後方、より下方に搭載する事に成功しました。その下げ幅は市販車と比較して実に20cmにもなります。エンジン自体も、'95〜'96年のル・マンに参戦したGT-R LM用のエンジンの排気量を140ccアップ(2,708cc)して搭載され、ピークパワーは遂に500PSを達成、特にトルクの向上によりドライバビリティも改善されました。また、エンジンを下方に配置する為にエンジン上に移されたステアリングギアボックスは、エンジンルームの剛性アップにも使われました。
 こうしてニスモがその威信を懸けて作り上げた'98年仕様のR33 GT-Rは、シーズン開幕で見事に優勝。大惨事により中止となった富士でのレースを挟んだ、仙台ハイランドでの第3戦でも続けて優勝し、その後も着実にポイントを重ねて、エリック・コマス、影山 正美組の23号車が見事にシリーズチャンピオンを獲得しました。
 左のモデルは'98年のシリーズチャンピオンに輝いたペンズオイル・ニスモ・GT-Rの23号車で、エムテック製。R33 GT-RのJGTC車輛は、近年エブロから発売されましたが、やはりR33 GT-Rと言えば、この時代の3分割リアウィングでしょう!エブロ製のR33 GT-Rは、ル・マン仕様も含めて、フロントマスクのデザインが×でした。R33らしさという点では、エムテック製のモデルの方が確実に上を行くと思います。テールランプが塗装処理だったり、ブレーキ廻りの再現性も低い等、残念な所はいくつかありますが、ペンズオイルのR33 GT-R、しかも3分割のリアウィングが再現されている'98年仕様という点だけで、充分に納得のいくモデルです。

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